・所属厩舎 : 庄子連兵
・初騎乗年月日 : 昭和48年10月16日
・生年月日 : 昭和31年9月7日
・出身地 : 福岡県


■ジョッキー人生七転び八起き
偶然の出会いが、
大井の的場を
生んだ。
 
騎手になった理由?うちの親父が佐賀競馬の馬主だったからさ、小さい頃から馬は身近にいたわけ。競馬場にも行ってた し。そのうち4つ年上の兄貴が騎手になり、やっぱりカッコいいなあという思いが強くなってね。子供心に佐賀で乗るしかないと。でも兄貴が「2人して佐賀に おらんでよか。どうせ乗るなら東京に行きない」みたいなことを言い出して
  それで中学2年の時かなあ。親父と馬主の広松さんていう方と3人で、東京へ下見に行ったわけ。向った先は浦和競馬だけ ど、飛行機を降りたら、モノレール乗って、山手線に乗り換えて、どんどん遠くに行っちゃうし「ここは東京じゃないやろって。(笑) こげんとこに連れてこられた」みたいな気持ちになってきてさ、内心ではちょっとヘコんだよ。
でも、その帰りに寄ったのが大井の小暮厩舎。その時に挨拶した小暮先生が自分を見て「お前はちっちゃいけど筋肉が最高にいい。浦和に行かずにうちで乗 れ」って言ってくれたのが運命の分れ道だったね。あそこでスカウトされなかったら今頃"浦和の的場"だったかもしれないし、そういう人の巡りあいとか縁と かいうのは不思議なもんだよ。
それでもう嬉しくて、中学も転校しちゃってすぐに来た。(笑) もちろん最初の頃は辛かったよ。朝早く攻め馬して学校いくんだけど眠くってさ。授業中はいつも寝てるし、小さくて坊主頭じゃ友だちから馬鹿にされて。でも 絶対にヘコたれたりしなかった。 まわりに負けたくないって気持ちと、いつかは一番になってやるって思いのほうが強かったから。
それから人並み以上の努力もしてきたけど、自信はあったよね。 騎手学校の時代でも教官に教えてたくらいだから(笑)そりゃ幼稚園から馬に跨がってりゃこっちのほうが上手いに決まってるさ。けど、育ててくれた小暮先生 や当時の先輩への感謝、その頃の初心を忘れずに、これからもずっと元気で乗り続けていきたいもんだね、まだまだ49歳だし。

※このインタビューは2005年当時のものです。
■オフの楽しみは
休みの楽しみは女房といくゴルフかな

ジョッキーやってる間は、ゆっくりできなくてキツいね。たくさん乗せてもらえるのは嬉しいけど、今の生活っていえば馬乗ってるか寝てるか。レース終了して 帰ったら缶ビール2本とご飯一膳、7時半か遅くとも8時には寝て毎日3時に起床して、あんまり休めないよ。ヒマがあったらトレーニングもしないといけない しね。

息抜きは、たまに女房と行くゴルフかな。ラウンドできるのは3カ月に一度くらいだけどね。まあ、ゴルフは引退してからも楽しめるけど、それまでに女房のほ うが上手くなってたらイヤだなあ。でも現役でいる限り、レースで勝つことが一番嬉しいから。ファンのため、大井競馬のために。

■座右の銘
「努力」

■ファンへのメッセージ
いくつになろうと
喜んでもらえるならば
初めてレースに出たのは17歳の時。緊張もしたけど、楽しみのほうが大きかったよ、競馬は面白いなあと。自分で目覚め たかなと思ったのは22歳でアラブ王冠(ヨシノライデン)を勝った時。そして、27歳くらいで一人前になれたような気がする。もちろん技術も勉強したけ ど、とにかくガムシャラに一生懸命やった結果だから。人それぞれ苦労はあるんだろうけど、自分がそれ以上頑張ったという誇りを持つことは大事だね。
最近、よく聞かれるのが「いくつまで騎乗しますか?」だけど、出来る限りやってみようかなという気持ちはあります。年に100くらい勝てるようなら乗り続 けたいし、まだ喜んでもらえる自信もあるから。調教師の先生も厩務員さんも馬主さんも、もちろんファンも。迷惑かけるようになったら辞め時かもしれないけ ど、今はそんなこと考えずに前向きでいくよ。

これからも、応援よろしくお願いします。乗れるうちは。(笑)
※ このインタビューは2005年にホームページに掲載された 「TCKジョッキーヒストリーWEB版 Vol.1 的場 文男騎手 編」から転載しています。