東京ダービー

名馬ヒストリー

思い出の東京ダービー

 東京ダービー、この原稿を書くにあたって過去の記録を眺めてみると俺が仕事を始めた年、平成3年のダービー馬が牝馬アポロピンク。おっさんになると古い事の方が良く思い出せるようになってくる。特にこの仕事を始めた年、誰もいない記者席で毎朝中間の攻め馬を見ていた時、牝馬らしからぬダイナミックなフットワークで猛追い切りをこなしていたのがこの馬だった。今の俺なら能力差とか色々考えて手を出しづらいタイプだと思うが、22才の俺は調教の動きの良さだけで(この馬で勝負するしかねえ!!)と単純に思い込んだ。

 レース当日はトイレに入るのも、馬券を買うのにも苦労するほどの人、人、人。レース毎に客のボルテージも上がり、怒号と喧騒が渦まく祭りの場を演出していった。(ホント、パドックでの野次もすごかった)そんな盛り上がりをよそに俺の馬券はさっぱり。毎日慣れない早起きを続けてきた(早いったって夜中の2時30分、泥ボウじゃないんだから)疲れもたまり気分はブルー。(このやられっぱなしの時の状態は今も全く同じで慣れることがない)そんな中いよいよダービーを迎えた。

 レース前に船橋担当の先輩、川上トラックマン(この先輩には仕事のイロハ、遊び方色々教えてもらった。本当にカッコ良かった)に「何買うの?」と聞かれて、「中間の動きがメチャメチャ良かったんでアポロ買います。アーバントップと一点で」(注・アーバントップは羽田盃勝ち馬で1番人気)と答えた。「ふーん、アポロいいんだ。おいしい配当じゃん。でもアーバンはやばいと思うよ。距離長いし流した方がいいんじゃない」と貴重なアドバイスをしてくれた。(不思議と23年も前の会話なのに鮮明に思い出せるんだよね、これが)素直にその言葉に従い当初の予定を変更して連勝は流しに変更(結局相手は抜けちゃったんだけど)、そしてアポロの単勝を五千円買った。社会人1年目の俺にとって五千円はかなり高額の賭け金(今考えると笑っちゃう金額だけど)。ジトっと手に汗をかく嫌な緊張感とともにレースを見守った。レース内容はもうひとつ思い出せない。アーバントップが先輩の予想通りに早々と失速したのは覚えてるんだけど……。とにかくアポロピンクが力強く勝って、ゴール前声を張り上げ手がブルブルふるえていたのは確か。結果数万円をゲットして(俺って天才?)と有頂天になっていた。

 それから月日が流れて今年は平成26年。23年の間にあこがれていた川上トラックマンも病気で亡くなり、馬券を買う額も加速度的に増え(結婚して子供ができてからは流石に減ったけど)俺が馬券の天才じゃないことも証明された。今やジョッキーはおろか調教師さえも俺より下の世代が断然多くなっている。競馬場に足を運ぶ客の年齢も客層も変わった。場内の雰囲気が以前とは全く違う。あの身体にまとわりつくような熱気がなくなってしまった気がする。

 それでも今年のダービーは近年とはかなり違った空気が場内に流れそうだ。

 ハッピースプリント、ダート無敗のスターホース。今まで数え切れないほどの馬の調教を見てきたが3歳でこれだけの動きをする馬に初めて出会った。管理する森下調教師が「世界レベルのポテンシャルがあると思う」と語るのにも素直に納得できる。羽田盃前の最終追い切り、かなりの数の報道陣がスタンドに詰めかけた。こんな光景はいつ以来だろう。俺が仕事を始めた頃は時代がイケイケで空前の競馬ブーム。今は競馬を取りまく環境が大きく異なる。調教師、ジョッキーからも厳しさを嘆く話が多く聞こえる。

 そんな中、1頭のサラブレッドの走りが全てを変え得る。その可能性をハッピースプリントは夢見させてくれる。第60回東京ダービーに俺が仕事を始めた頃のあの熱い空気が渦巻くことを。じいさんになった時「あのダービーは凄かった」と自慢げに語れるレースになることを願って。歴史の目撃者になる為にも今年のダービーは競馬場で観ることを自信を持っておすすめするよ!!

※本文中、連勝とあるのは現在の枠複のこと

■アポロピンク
生年月日 : 1988年4月17日
血統 : 父 カツラギエース
母 ミネノユウヒ
生涯成績 : 15戦5勝
主な勝鞍 : 第37回東京ダービー
競馬ブック 水元 尚