帝王賞。このズシリと重い響き。これほど威厳に満ち、かつ端的にレースの品格を表したタイトルはないのではなかろうか。漢字の『帝』の意味を調べると、「天下の統治者、最高主君」とある。まだ地方競馬と中央競馬の垣根が高く、今のような交流重賞など無い時代から、この帝王賞は中央競馬招待競走としてダート界の統治者を決定してきた。ファンにとっては秋のオールカマーと並んで、地方競馬の意地と中央競馬のプライドが激突する、たまらないビッグイベントだった。昭和と平成をまたいで2度制したチャンピオンスター、笠松の伝説的名馬フェートノーザン、女帝ホクトベガ、岩手の雄メイセイオペラ、南関東最強牝馬ロジータを母に持つカネツフルーヴ、一時代を築いたアドマイヤドン、タイムパラドックス、ヴァーミリアン、スマートファルコン、稀代の名コンビ・的場文男騎手と故郷に大きな錦を飾ったボンネビルレコード、中央とのレベル差が開く最中で孤軍奮闘し続けたアジュディミツオーにフリオーソ。当然のことながら過去の勝ち馬には錚々たる馬達が名を連ねている。
近年では、アジュディミツオーが勝った2006年がとりわけインパクトの強い一戦だった。
アジュディミツオーは、その名の通り「南関東のサンデーサイレンス」とも評されたアジュディケーティングの産駒。デビュー4戦目の東京ダービーを無敗で制すると、その年の暮れの東京大賞典も並み居る中央の強豪を相手に3馬身差で完勝。明けて4歳春は、地方所属馬として初めてドバイワールドカップに挑戦(⑥着)した。完成期を迎えた秋以降は、東京大賞典連覇を皮切りに、川崎記念、かしわ記念とGⅠ制覇。530キロの筋骨隆々たる馬体から繰り出されるスピードと驚異的な持続力でファンを大いに魅了した。しかし、アジュディミツオーにはどうしても倒さなければならない相手がいた。一歳下のカネヒキリという馬だ。地方競馬が舞台のレースでは無敵だったアジュディミツオーだが、ジャパンカップダート(⑩着)、フェブラリーステークス(⑦着)と中央遠征では辛酸をなめた。その2つのレースでの勝ち馬こそが他でもないカネヒキリなのだ。
2006年6月28日。
アジュディミツオー・内田博幸騎手・川島正行調教師。
カネヒキリ・武豊騎手・角居勝彦調教師。
人馬ともに文字通りの頂上決戦が実現した。世紀の対決を一目見ようとスタンドは超満員。
2番枠から内田博騎手が仕掛けてアジュディミツオーが例により先手を取りに行く。カネヒキリはそれを目標にしながら内目の4番手を進む。3馬身ほどのリードを取りながら快調に飛ばすアジュディミツオー。前半3F通過が36秒3。並みの馬ならオーバーペースでも、東京ダービーを35秒9、過去2年の東京大賞典を35秒7、35秒9で逃げ切っているアジュディミツオーにとっては、後続に程度に脚を使わせながら持久力勝負に持ち込む最良のラップタイム。向こう正面で早くもカネヒキリが2番手に浮上すると、3コーナーからは完全にマッチレースの様相を呈した。カネヒキリが1馬身差まで迫ったところで内田博騎手の手綱が動く。途端にアクションが変わってそれに応えるアジュディミツオー。武豊騎手の右ムチで伸びるカネヒキリだが、その差はなかなか詰まらない。後続は大きく離れる一方。結局1馬身差は最後まで変わることはなかった。大井・2000メートルという自分の土俵で見事に雪辱を果たしたアジュディミツオー。マイナス16キロと極限までシェイプアップして打倒カネヒキリに全てを賭けた陣営の仕上げも完璧だった。勝ち時計の2分02秒1は、良馬場としてはあり得ない驚愕のレコードタイム。地方と中央のトップホースによるマッチレースは、お互いの限界を越える能力を引き出したのかもしれない。このレースのあと、アジュディミツオーは8戦して0勝、カネヒキリは二年半もの休養を余儀なくされた。競走馬生命を賭けた死闘。この年の帝王賞はそう呼ぶに相応しい名勝負だった。
生年月日 | : | 2001年6月2日 |
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血統 | : | 父 アジュディケーティング 母 オリミツキネン |
生涯成績 | : | 27戦10勝 |
主な勝鞍 | : | 第18回東京湾カップ(GIII) 第50回東京ダービー(GI) 第50回 東京大賞典(GI)(G1) 第51回 東京大賞典(GI)(G1) 第55回 川崎記念(GI)(G1) 第12回 マイルグランプリ(G2) 第18回 かしわ記念(GI)(G1) 第29回 帝王賞(GI)(G1) |