東京大賞典への道

アジュディミツオー(第50回、第51回東京大賞典)

「貫禄があって、“兄貴”と呼びたくなるような馬だったよ」。
5年以上の時を一緒に過ごした藤川伸也厩務員は、当時を振り返って語った。

気が強く激しい気性を持った反面、頭が良くて納得したことは素直に従う性格を持ったその馬は、中央の強豪勢を相手に奮闘し、地方競馬所属馬として初めてドバイワールドカップへの出場、東京大賞典史上初の連覇を達成するなど数々の記録を塗り替えた。

<名馬アジュディミツオーの誕生>
2001年6月2日、北海道新ひだか町の藤川ファームで一頭の仔馬が誕生。
母馬オリミツキネンは、オーナー織戸眞男氏の父である光男氏が最後に所有した馬で、川島正行調教師の「活躍している馬の配合を色々調べたけれど、オリミツキネンの血統と一番合う」という助言によりアジュディケーティングが交配され、父馬の一部と光男氏の名前を組み合わせアジュディミツオーと名付けられた。

ミツオーはすくすくと元気いっぱいに育ち光男氏もデビューを楽しみにしていたが、ミツオーが1歳の時に光男氏は96歳で他界し、活躍する姿を見ることはかなわなかった。

<デビュー、そして東京ダービー制覇>
「初めて跨った瞬間に、この馬は大きな舞台で活躍できると思ったよ。他馬にはない力強さとバネがあったし、20年近く馬に乗っていて味わったことのない感覚だったね。調教では気の強さから引っかかるところがあって、折り合いをつけるのに苦労したこともあるけど、素直で頭のいい馬で教えたことはすぐ覚えてくれたよ」と調教パートナーだった佐藤裕太騎手は、ミツオーの能力の高さについて懐かしそうに語った。

2003年9月15日に新馬戦を勝った後7ヶ月半の休養を挟み、3歳戦を快勝した後、東京湾カップでも勝利を掴んで、3連勝で東京ダービーへと駒を進めることとなる。
「勝った時は嬉しさのあまり騎乗してくれた佐藤隆騎手と抱き合って喜んだよ。それから優勝の肩掛けを持って父のお墓に報告しに行ったんだ。父は本当に馬を持つことが好きで50頭くらいの馬主になったけど、成績が振るわなかったからね」と言って織戸氏は壁に飾られたダービーの口取り写真を見つめた。

<東京大賞典>
2004年12月29日、大井競馬場には雪が舞っていた。
師走の忙しい時期にも関わらず多くの観客が見守る中、ゲートは開かれる。
ミツオーはハナを切ったユートピアに並びかけると、そのまま先頭に。
近走は競馬を教えるため好位追走する形を取り、勝ちに恵まれてなかったミツオーだったが、この日は逃げた。勝った東京ダービーの時と同じように・・・。

「東京大賞典当日、馬場状態が悪かったから昔騎手をしていた時の感覚で、何としてでも逃げるように内田騎手に指示をだしたよ」という川島調教師の判断が功を奏し、4コーナーに向いても騎乗する内田博幸騎手は手綱を持ったまま。
この時、藤川厩務員は勝ちを確信したという。ミツオーは、そのまま後続馬を寄せ付けることなくゴール板を駆け抜けた。

その後の表彰式で川島調教師がファンに握手を求められ応じた際に、雪で地面が濡れていたために滑って負傷し、今でもその傷が消えないというエピソードもあり、師にとって一番思い出に残るミツオーのレースとなっているそうだ。

<地方競馬所属馬初のドバイ遠征>
東京大賞典の勝利により、地方競馬所属馬として初めてドバイワールドカップに招待されたミツオーは、遠い異国の地に向かうこととなった。
「飛行機の輸送は問題なかったし、寒い真冬の日本から暑い国に行ったけど状態は変わりなかったよ。飼い葉や水も日本から持っていったのが良かったのか、飼い食いが落ちるということもなかったしね。ただ帯同馬がいなくて、現地でも他国馬と一緒に調教することができなかったから、ずっと1頭だったから寂しそうに外を見たり、他国馬を見ると鳴いたりしていたのが可哀想だったね」と藤川厩務員は当時を振り返る。

世界を相手に挑戦した結果は6着。それでも日本代表として、世界の強豪たちに挑んだミツオーの功績は偉大なもの。

<東京大賞典連覇>
「ドバイ遠征後は成績低迷が続いていたから正直不安の方が大きかった」という藤川厩務員と同様、競馬ファンも昨年の覇者であるミツオーに下した評価は4番人気。
しかし、ゲートが開くとミツオーは俺の実力はそんなものじゃない!と言わんばかりに逃げた。逃げて、逃げて、逃げ切った。
ゴール板を先頭で通過したミツオーを見て「ようやく勝ってくれてホッとした」と陣営は安堵したという。

<ありがとうミツオー>
その後もマイルグランプリのレコード勝ち、かしわ記念制覇、そして帝王賞ではカネヒキリとの一騎打ちを制すなど数々の記録を塗り替えた。
しかし、それを最後に勝ちに恵まれることはなく、連覇を果たした東京大賞典でも、1番人気に支持されながらも5着に敗退。
2009年11月18日船橋競馬場で引退式が行われ、ミツオーは競馬場を去った。

2010年からアロースタッドで種牡馬となったミツオーには初年度41頭、昨年24頭が種付けされた。
「ミツオーが生まれた藤川ファームから、ミツオーの仔を1頭買ったんだ。順調に成長しているみたいだから来年デビューするのが楽しみだよ」と嬉しそうに目を細める織戸氏。

中央や世界の強敵相手に活躍し、地方所属馬の意地と強さを見せてくれたアジュディミツオー。たくさんの感動と希望をありがとう。ミツオーが見せてくれた夢の続きは、産駒たちが必ず引き継いでくれるはず。

公営担当記者 豊岡加奈子

アジュディミツオー

生年月日 : 2001年6月2日
血統 : 父 アジュディケーティング
母 オリミツキネン
生産 : 静内・藤川フアーム
きゅう舎 : 川島正行(船橋)
生涯成績 : 27戦10勝
主な勝鞍 : 第50回東京大賞典(GⅠ)(G1)
第51回東京大賞典(GⅠ)(G1)
第29回帝王賞(GⅠ)(G1)