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「調教師さんやスタッフの方みんなを結びつける」という願いを込めて“&”から伊達オーナーによって名付けられたアンパサンドは、フリオーソやトップサバトンと共に最強世代ともいわれる2007年のクラシック戦線を賑わせる一頭となった。

アンパサンドは2004年3月5日、サンシャイン牧場にて誕生する。競走馬となってからは幅もあって見栄えがする漆黒の馬体が特徴的な馬だったが、「幼い頃は脚が長く、お腹回りも薄い仔だった」と伊達オーナーは語った。ところが一歳の夏を迎えた頃から一気に肉付きも良くなって変わってきたそうだ。

2歳の6月に北海道でデビューすると、勝ちあがるまでには3戦を要したがその後は連勝。
5戦目で「北海道とはペースが違うJRAのスピード競馬を体感させたい」という想いも込めて出走したダリア賞では、着順こそ最下位だったものの上がりはメンバー最速を叩きだした。この遠征をきっかけに「競走馬らしい顔つきになってきた」という。

するとイノセントカップでは、9番人気という低評価を覆し見事重賞勝ちを果たす。続く北海道2歳優駿ではトップサバトンに敗れはしたものの中央馬相手に2着と好走、川崎の池田孝厩舎に転厩すると初戦から全日本2歳優駿でフリオーソの3着になった。

3歳になって出走した京浜盃と羽田盃では同じく道営から移籍していたトップサバトンに勝利を譲る形となったが、池田師は「必ず1冠は取らせるから」と伊達オーナーと約束しており、その言葉通り東京ダービーでクラシックタイトルを手にする。

クラシック最終戦となるジャパンダートダービーは1999年に創設され、第1回、第3回は地方所属馬のワンツーとなったが、その後は中央馬優勢の流れが続いていた。

しかし2007年の第9回は1番人気こそユニコーンSを制したJRAのロングプライドだったが、2番人気は東京ダービー馬アンパサンド、3番人気は2歳最優秀馬に輝いたフリオーソ、4番人気も京浜盃、羽田盃を制したトップサバトンと地方勢も中央馬に負けない支持を集めていた。

スタートするとJRAのエイシンイッキの逃げで、フリオーソ、トップサバトンが続く。アンパサンドは中団に付けていたが、向正でエイシンイッキが後退しフリオーソとトップサバトンの2頭がレースを引っ張ると、3コーナーを向くあたりではアンパサンドも3番手にまで上がりそれに加わろうとする。

4コーナーから直線を向いてフリオーソが抜け出すと、アンパサンドもそれを追う。結局フリオーソを捉えきることができず2冠の夢は叶えられなかったが、後ろから迫ってきたロングプライドに交わされることなく、地方馬でのワンツーとなった。

私が記者となった2012年以降、当該レースで地方馬同士の決着はないが、昨年ヒガシウィルウィンが優勝したことはかなり嬉しかった。 今年も地方馬の活躍を期待したい。

勝馬 豊岡 加奈子