一年のダートレースの総決算東京大賞典は地方出身である私の競馬好きの友人たちが集まる貴重な場所でもある。それぞれの会社が冬休みに入るこの時期に上京し大井競馬場に集結していた。最近では結婚して家族を持った友人ばかりで以前のようになかなか年末大井競馬場に集まることは難しくなったが、各々馬券を購入し電話やLINEなどで結果や思い出話をするのが毎年の恒例となっている。
先日その競馬仲間の一人と電話で話していた時「あの時はまだ20代だったけど、あれからもう8年もたったなんで信じられないよ」とポツリと彼がつぶやいた。
「本当に懐かしいよ。今でもあの年の東京大賞典のことは鮮明に覚えている」と返しながら頭の中には2010年の東京大賞典の光景が昨日のことのように蘇ってきた。
2010年といえば地方最強馬と言っても過言ではないフリオーソ、そしてボンネビルレコード、中央ではスマートファルコン、カネヒキリ、トランセンドと実力馬がひしめく戦国時代。その年の帝王賞ではフリオーソが中央馬相手に完勝しその名を更にとどろかせ、船橋で行われたJBCクラシックではスマートファルコンがフリオーソに7馬身差をつけて帝王賞の雪辱を果たした。そして第56回東京大賞典は戦前からフリオーソ、スマートファルコンの2010年4度目の対戦に注目が集まっていた。
電話相手の友人が競馬を初めて一番最初に生観戦した日本ダービーを勝ったのはスペシャルウィーク、そして当然それからスペシャルウィークにぞっこんとなった。
そんな友人がごたごたもあって職場を退職し、手にした退職金で何をおもったか「この血統から最強馬しか生まれるはずはない」と大奮発して出資したのがゴルトブリッツだった。そんな友人の大きな期待とは裏腹になかなか勝ち上がることができずに未勝利のまま道営に移籍となったが、そこから一気に運命が変わっていった。
門別での2戦を大楽勝で連勝し中央に再転入、復帰初戦500万下を完勝しその勝ちっぷりから東京大賞典への出走が決まった。3月にデビューし年末にはJpnⅠ出走というサクセスストーリーが待っていたのだ。
レースはハナを主張したスマートファルコンを、二番手でフリオーソがマーク。中団の外目を追走したゴルトブリッツは3コーナー過ぎから先行集団に並びかけるも最後は伸びきれず7着でゴール。ただまだ1000万条件での挑戦と考えれば今後の飛躍が期待できる一戦となった。
勝ったスマートファルコンは最後まで先頭を譲ることなく逃げ切りでダートG1を連勝。その地位を不動のものとするとともに、従来のレコードを大幅に更新する2.00.4という驚異的な勝ち時計での歴史的な一戦となった。そしてあれから8年となるが未だにそのレコードは破られていない。
現地で観戦した友人は「結果は残念だったけど、まだ3歳馬だしこれからが本当に楽しみになったよ!こんな衝撃的なレースを生で見れたことにも感動した。いつかゴルトブリッツが大井でGⅠを勝つ姿を見たいな」とレース後に興奮しながら話していた友人の熱い想いが届き、その後も順風満帆ではなかったが着実にキャリアを重ね、2012年の帝王賞で後続を大きく引き離して戴冠したゴルトブリッツ。しかし更なる活躍を見ることなく残念ながらその2か月後腸捻転のため急死してしまった。“金の稲妻”短い生涯であったが、その名の通り黄金の輝きは今でもあせることなく記憶に強烈に残り続けていく。
日刊競馬 市川 俊吾