“時代をまたいだ奇跡の制覇”
帝王賞が上半期のダート総決算レースとなって久しいが、昭和、平成と時代をまたいで帝王賞を2度制した馬がいる。第11回と第14回の優勝馬チャンピオンスターである。
昭和最後の帝王賞。14頭立てで中央から4頭、高崎から1頭、北海道から1頭の参戦があった。一番人気はシナノジョージで、4歳馬チャンピオンスターは三番人気。主戦の高橋三郎騎手が調教中の転倒で大腿骨骨折する大けがを負い、急きょ桑島孝春騎手が手綱を取った。直線ではイナリワンを抑え、最後はシナノジョージとの叩き合いの末、見事戴冠した。
その時に3着だったストロングファイタを担当していたのが沢田信広厩務員。「チャンピオンスターとは何度対戦しても勝てないから悔しくてね。俺もその頃は血気盛んな23、4歳。いつか負かしてやろうと思っていた」と牽制するようにキッと睨んだ。そんな沢田厩務員をチャンピオンスターの坪野谷純子オーナーが見ていた。
続く大井記念も制したが、秋の東京記念では精彩を欠き7着。競走馬として致命的とされる屈腱炎を発症していることが判った。調教師からはあきらめようと話もあったが、なんとしても復帰させたいと九十九里の海岸で海水に浸ける治療を根気よく続け、再びレースに復帰するまでには2年近い月日が流れていた。
時は平成に移り、厩舎も移籍しての再出発。「いつもチャンピオンスターを睨んでいたあの厩務員にお願いしたい」というオーナーの希望もあって沢田厩務員の元にやって来た。平成2年の夏のことだ。
「周囲を圧倒するなんともいえないオーラがあったね。脚はすっきりして見えても、一度切れた腱がいつどこでまた切れるかわからない。イナリワンを担当していた板橋さんが青森の同郷なもんで、エサの食わせ方やバンテージの巻き方など脚の弱い馬のケアを教えてくれた。レースから上がってきた時にはバンテージを取らないまま冷やしていたんだよな。脚がどうなっているか怖くてね。勝ち負けだけじゃなく、無事に戻ってきてくれることを祈る気持ちでレースに送り出していた。十二指腸潰瘍になって血を吐いたこともあったなあ」と託された沢田厩務員はガラスの脚と向き合った。
7歳で再び挑むことになった第14回帝王賞。中央から砂の猛者ナリタハヤブサ、笠松の女傑マックスフリート等が参戦。中団内にぴったり付けると、ナリタハヤブサに合わせて追い出しのタイミングを待った。「1頭になるとフワーッと気を抜くところがあるから追い出しを遅らせて、直線は狭いインをギリギリ抜け出して勝負をかけた」と高橋三郎騎手の巧みな騎乗で2度目の帝王賞制覇。3年の時を経た奇跡のような復活劇だった。
秋には中山のオールカマーに参戦。しかしそれがラストランになった。いつになく引っ掛かって制御が利かず、3コーナー手前で一瞬ガクッと体勢が崩れた。「バキッと腱のちぎれる音がしたってサブちゃんが言ってた。必死にとめても止まらなくてゴールして。勝ったのは同じ大井のジョージモナークで、今思うと天国と地獄だったね」と沢田厩務員。
なんとか一命を取りとめたチャンピオンスターは種牡馬入りしたものの、13頭種付けした時点で1頭しか宿らず、検査をすると精虫数が極端に少ないことが判明。たった1頭残した産駒アレチャンピオンは大井に入厩して沢田厩務員が担当。希有な血を繋げた。
競馬ブック 中川 明美