レースヒストリー
2004年12月29日。
暮れの大一番、東京大賞典を控える大井競馬のその日は朝から雨模様。馬場が濡れて急激に砂コンディションが悪くなっていったが、ファンファーレが響くころには気温も更に一段下降して、雨雫は白い雪へと代わっていた。
今思えば奇跡の瞬間は、その幕開けから、知らずと舞台を整えていたのだろう。
主役の名は、アジュディミツオー。前年9月に船橋・川島正行厩舎からデビューした、この時点で3歳の若駒だ。
一方、上位人気は同年ジャパンカップダート勝ちした武豊タイムパラドックス、ダービーグランプリをレコードで千切った同期パーソナルラッシュなど、強力布陣で臨むJRA優位の前評判。
そんな錚々たるメンツに混じって、アジュディミツオーは直前のJBC2着が評価され3番人気の高支持を受けていた。
15時45分定刻。一瞬の静寂、小雪の舞う中で、50回の節目東京大賞典のスタートが切られた。
まず二番人気パーソナルラッシュが出遅れた。場内がどよめく。
そして注目の先行争い…。前哨JBCで逃げる脚を見せたユートピアが当然速い…。
いや、その外にアジュディミツオー。内田博幸騎手が懸命に番手で抑え込むが、完全にハミを噛んでいる。結局折り合い優先に行かせて先頭に立つことになったが、単独先頭に持ち込んだのは既に1コーナーを回ったところ…。
正直、記者はこの時点でアジュディミツオーの存在は念頭から消えていた。大井二千はスピード、スタミナ、総合力が問われるクラシックディスタンス。
内コースでも引っ掛かって初コーナーまでに消耗した馬が残ることはまず、ない。
それが、どうだ。最終コーナーに差し掛かるところで目を先団に移すと、しっかり息を入れられている。後続は激しいチャージに脚を使っているが…。止まらない、止まらない。
後半3ハロンを37秒2のまとめ。あれだけ前半行きたがる素振りを見せながら、メンバー最速の上がりで影も踏ませなかった。
内田博幸の左こぶしが、天に衝き出す。
大賞典がJRA交流となって以降、地方馬が制したのは第44回のアブクマポーロ、第47回トーホウエンペラー以来3回目で、南関馬では初の3歳にしての戴冠。時計も前年にスターキングマンがマークした2分3秒7を大幅に上回る、2分2秒6のレースレコードだった。
この2004年、内田博幸騎手も自身初めて地方リーディングの首位を奪取。
日々答えがなく、終わりも見せない競馬熱。しかしこの雪中決戦こそ、3歳アジュディミツオーと内田博幸コンビが、新時代を切り開いた一ページだったと、今さらながら気づかされる。
ケイシュウNEWS 高橋 孝太郎