第70回 羽田盃 [JpnI]
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羽田盃について

HANEDAHAI

羽田盃の歴史

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ダート三冠競走施行元年の第69回(令和6年)羽田盃を制したアマンテビアンコ号。

 東京国際空港(羽田空港)の所在地として知られており、大井競馬場からもほど近い羽田は、東京において初めて地方競馬が施行された地域でもある。この羽田をレース名の由来としているのが、3歳ダート三冠競走の第一戦である羽田盃だ。

 本年の羽田盃は70回目。令和5年までは南関東3歳牡馬クラシック競走の第一関門として施行されていた。創設当初のレース名は「大井杯」であり、昭和39年の第9回から現在の名称に変更されている。この羽田盃を含む、開催当時に南関東3歳牡馬クラシック三冠とされていたレースを全勝した馬は、昭和42年のヒカルタカイ、昭和50年のゴールデンリボー、昭和53年のハツシバオー、昭和58年のサンオーイ、昭和61年のハナキオー、平成元年のロジータ、平成13年のトーシンブリザード、令和5年のミックファイアと、これまでに8頭いる。

 令和6年の全日本的なダート競走の体系整備に伴って、この羽田盃に東京ダービーとジャパンダートクラシックを加えた3レースが3歳ダート三冠競走となった。ダートグレード競走のJpnⅠに格付けされ、JRA所属馬も出走可能となった現在の1着賞金は、5,000万円である。

 施行コースの距離は第12回(昭和42年)から第40回(平成7年)までが2,000m、第44回(平成11年)から第46回(平成13年)までが1,600m、第47回(平成14年)から第48回(平成15年)までが1,790mだったものの、第49回(平成16年)からは創設当初と同じ、かつ現在と同じ1,800mとなっている。

 出走資格があるのはサラブレッド系3歳の牡馬および牝馬。負担重量は定量の57kgで、牝馬ならびに南半球産馬は2kg減だ。前哨戦と位置付けられているブルーバードカップ・雲取賞・スターバーストカップ・京浜盃で所定の成績を収めた馬には、当レースへの優先出走権が付与された。


コース紹介

2,000m

 日本国内のダート競馬においては、1,800mのレースが数多く施行されている。現在の大井競馬場でも、雲取賞・ブリリアントカップ・羽田盃・東京プリンセス賞・黒潮盃・レディスプレリュード・勝島王冠の7重賞が1,800mのコースを舞台に争われている。

 発走地点はゴールの200mほど手前で、スタンド前の直線を通過した後に、全長1,600mの外回りコースを1周して再びゴールへ達する。スタートから1コーナーまでの距離は200mあまりで、隊列が決まるまでのポジション争いも見どころのひとつだ。

 大井競馬場では令和5年に本馬場の砂の入れ替えが実施された。現在の砂はオーストラリア・アルバニー産の珪砂で、白く見えるのが大きな特徴。騎乗者の視認性が確保されるほか、硬度が高いため馬場状態の悪化を防ぐ効果もある。なお、この入れ替えに合わせて砂厚が8cmから10cmに変更されたものの、令和6年12月1日より9cmに再変更されている。

 令和7年3月末時点における1,800mのレコードタイムは、第1回(平成23年)のJBCレディスクラシックで優勝馬のミラクルレジェンドが記録した1分49秒6だ。


伊吹雅也