第70回 羽田盃 [JpnI]
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レースヒストリー

HANEDAHAI

 1956年に大井杯として創設され、2023年まで68年間南関東所属馬だけで行われてきた長い歴史の羽田盃。
2024年からは交流重賞になることが決まり、南関東勢だけで行われるのが最後となった2023年に勝利したのがミックファイアだ。
羽田盃では後続を6馬身差ちぎって圧勝劇を演じ、さらに3冠を達成するという偉業を達成したミックファイアだが、管理する渡邉和雄調教師は「セリの時は本当に小さくて、幅もなくてあまり目立つ馬じゃなかった」と当時の印象を振り返る。

 2歳になって入厩して迎えた能力試験の内容が良く、その後新馬戦に向けての追い切りでは、ミックファイアが追いかける形で併せた馬を直線で引き離したことから、「新馬は負けないだろう」と思い、期待通りに逃げ切っての白星発進。だが、その時点でも三冠馬になるほどとは思わなかったという。

 また能力開花を阻むかのように、2歳のうちはずっとソエを気にしていたために、順調なローテーションで出走することができなかった。そのため、2戦目は新馬戦から1か月半ほど間隔をあけることとなったが、その状況の中でも1:40.7の好時計で勝利して周囲を驚かせる。
中1週の間隔でハイセイコー記念があり、「この時計で走ったら勝てると思って、使いたかった」と陣営は意気込んだが、再びソエを気にしたために断念せざるを得なかった。

 12月にひばり特別を勝利した後は、雲取賞を使って羽田盃を目標にする。しかし今度は爪を悪くするというアクシデントがあり、雲取賞に出走することは叶わなかった。

 南関勢同士の最後のクラシックの年だったということもあり、何とかできないかと師は考え、大井の馬場よりも負担が少ないミッドウェイファームの坂路で調整することにした。坂路の衝撃は馬場より少ないため、何とかケアしながら調整することができたものの、京浜盃にも間に合わず、羽田盃にぶっつけ本番で向かうこととなる。

 デビューからの3戦無敗ではあったが、これまで賞金を加算した馬が多くいて登録メンバーが発表になった時点では出走できるかもわからない状況。その上、今までコンビを組んだことがあるジョッキーはすでに乗り馬が決まっていて、出走できることが決まったギリギリの段階でジョッキーを探すことになった。そこでタッグを組むことになったのが、その後コンビで3冠を達成することとなる御神本騎手だ。

 羽田盃当日は爪をケアしながらの調整だったこともあって、体がまだ仕上がり途上の中でマイナス16キロの大幅減となった。パドックではテンションを見せたが、「3戦目の時に、一頭だけ真冬なのに真夏みたいなのを見ているからあの時と一緒だと思った」ことから、特段気にならなかったという。

 「体は良化の余地を残していたけど、心臓の良い馬だったので、上手く先行できたらそれなりにはやってくれるんじゃないかと思っていた。期待はしていなかったわけではないけど、トライアルを使えなかったし、状態を加味するとそこまで勝つという自信はなかった。羽田盃で5着までに入ってダービーの権利を取れたら良いな」と師が考えていたプランは、ゲートが開くと嬉しい誤算に変わる。

 スタートしてポリゴンウェイヴが外枠から一気にハナに立っていき、ミックファイアは道中2番手のポジションを取ると、4コーナーで先頭に並びかる。直線を向いても全く脚色が鈍ることないどころか、後続勢の追撃をものともせず6馬身差突き放して1冠目を奪取。
師は「正直びっくりしたと同時に能力を確信した」と目を細めた。

 3冠を達成し、中央にも遠征するなど大舞台に挑戦し続けているミックファイアは、現在休養をして英気を養っている。今年は川崎記念から始動を予定しており、「今のところ良い感じで状態上がってきている」とのこと。これからも南関東の代表としての走りを期待したい。


勝馬 豊岡 加奈子