レースヒストリー

Tokyo Derby

ダート競馬の体系整備が実施され、今年から”ダート三冠”として新たな扉が開いた。 これまでの南関東馬だけで行われていた羽田盃、東京ダービーの二冠がダートグレード競走となり、ジャパンダートダービーは秋に移行してジャパンダートクラシックとして実施されることになった。 ”東京ダービー”と南関東3歳の頂点レースとして歴史が刻まれてきたこともあり、ダービー馬、ダービージョッキーと勝者には特別な称号が与えられた。他のどんな大きなタイトルよりも優勝馬関係者の喜びようは別格だ。あらためて様々な東京ダービーストーリーがよみがえってくる。 2019年6月5日。 今から5年前の東京ダービーの優勝馬はヒカリオーソ。 管理トレーナーは川崎の岩本洋調教師、勝利ジョッキーは山崎誠士騎手である。 新冠町のヒカル牧場で生まれたヒカリオーソの父はフリオーソ。種牡馬となった現在はダートの活躍馬を多く輩出しているが、フリオーソが迎えた3歳春は三強の戦いとされ、北海道から移籍してきたトップサバトンが羽田盃を、同じく道営出身のアンパサンドが東京ダービーを優勝し、フリオーソは3着、2着。うっぷんを晴らすかのように3冠目のジャパンダートダービーでは猛追するアンパサンドを封じて戴冠した。 その父フリオーソがクビ差で果たせなかった東京ダービー制覇を成し遂げたのが息子のヒカリオーソだった。 ヒカリオーソは平和賞、雲取賞を勝ち、クラシックの最有力候補に名を上げたが、羽田盃の前哨戦となる京浜盃ではまさかの大差しんがり負けを喫した。 故障か? にわかにざわついたが、鼻出血を発症していることが判明。30日の出走停止が科され、調教試験を受けなければならない。東京ダービーに向けて仕切り直すにはギリギリの勝負だった。 調教試験をクリアし、なんとか東京ダービーに漕ぎ着けるとそれでも3番人気に推され、1番人気にはミューチャリー。 イグナシオドーロが逃げてダービーでは珍しい超のつくスローペース。ヒカリオーソは2番手で折り合い、3コーナーでは押し出されるかたちで先頭に躍り出た。直線でウィンターフェルが並びかけるともうひと一段ギアを上げて突き離す。後方からミューチャリーが猛追するも、すでに2馬身先でヒカリオーソがダービーゴールを決めていた。雲取賞に続いてのちにJBCクラシックホースとなるミューチャリーを完封した底力には畏れ入った。  目を潤ませていた関係者が周囲を囲む。 「鼻出血のことがあるからとにかく心配だった。無理せず2、3番手からのイメージ通りのレースをしてくれた」 岩本洋調教師は開業40年目にしての東京ダービー制覇。父・岩本亀五郎調教師の代からの悲願を達成した。 ”ダービージョッキー”となった山崎誠士騎手は満面の笑みを見せる。こちらもまた父・山崎尋美調教師、祖父・山崎三郎調教師の騎手時代からの夢を叶えたのであった。 ヒカリオーソは6歳になって高知へと移籍したが、8歳になる今も重賞戦線に出走し、息の長い活躍を続けている。

競馬ブック 中川 明美